書評

【書評】自殺の危険

2020年5月1日11:07 AM

「自殺の危険(第3版) 臨床的評価と危機介入」
評者:大嶋明彦
著者:高橋祥友
出版社:金剛出版
発行日:2014年2月11日
(現在はAmazon Kindleで電子書籍として購入できます)

 

 私は23年間の精神科医生活の中で、自分で把握しているだけでも6名の自殺既遂患者を出してしまっている。自分が把握していない患者を含めれば、さらに多いであろう。いつ思い返しても痛恨の極みである。すでに1992年に出版されていた本書の第1版を当時私が読んでいれば、これらの犠牲者は間違いなく減らせていたであろう。

 本書は改訂のたびに分量が増し、最近第3版が出た。自殺学の基礎知識から最新のトピックスまで幅広くカバーしている本書は単著であり、内容の一貫性・統一性が高いため、極めて読みやすい。自殺学に馴染みの薄い若い読者のために、まずは基礎知識をおさらいしたい。第3章は「自殺の危険因子」である。それは、①自殺未遂歴、②精神障害、③サポートの不足、④性別(自殺既遂者:男>女、自殺未遂者:女>男)、⑤年齢(中高年男性でピーク)、⑥喪失体験、⑦性格(未熟・依存的、衝動的など)⑧他者の死の影響、⑨事故傾性(事故を防ぐのに必要な措置を不注意にも取らない)、⑩児童虐待である。このような危険因子を検討することによって、個々の患者の自殺の危険を判定していく。

 次の第4章は「精神障害と自殺」である。「自殺が生じる前に、その大多数の人々が何らかの精神障害に罹患していたという厳然たる事実がある。」WHOは「心理学的剖検の手法を用いて、15,629人の自殺者が最後の行動に及ぶ前にどのような精神障害を抱えていたかを調査している(…)。それによると、「診断なし」と「適応障害」を合わせてわずかに4.3%に過ぎない。自殺に及ぶ前に95%以上の人が何らかの精神障害の診断に該当する状態にあったのだ。さらに、適切な治療を受けていた人となると、2割程度に留まっている。したがって、WHOはうつ病、アルコール依存症、統合失調症に関してはエヴィデンスに基づいた効果的な治療法が存在するので、これらの精神障害を早期に発見し、適切な治療を実施するだけでも、自殺率を低下させる余地が十分にあることを繰り返し強調している。」自殺予防のためには、ごく当然ながら、精神疾患の早期発見・早期治療が重要である。
 この章で、著者は「医原性の自殺」という造語を呈示している。「これは医療の側の責任で引き起こされた自殺ともいうべきものである。」「毎回一応は規則的に外来に通院し、慌ただしい外来の診察室でとくに病状を訴えることもない慢性患者では、医師も漫然と処方だけをして、それ以上情報を集めることもしない。」このような、自殺の危険への配慮を欠いた診療による自殺が、医原性の自殺である。私の自殺既遂患者の1名は、まさしくそれであった。典型的なメランコリアの患者で、診察室では常に穏やかで丁重であり、治療が奏功して改善傾向にあったため、私はすっかり安心して、途中から自殺傾向への注意を怠っていたのである。そうしたら、次の予約日の直前に、家族から患者の自殺の連絡が入り、私は驚き茫然としたのであった。精神科医は専門分野を問わず、自殺の危険に常に注意して、医原性の自殺を何としても防がなければならない。

 第5章は「身体疾患の自殺」であり、興味深いデータが示されている。それによれば、一般人口と比較して、人工透析患者では14.5倍、腎移植患者では3.8倍、頭頸部癌患者では11.4倍、それ以外のがん患者では1.8倍、HIV陽性・AIDS患者では6.6倍、SLEでは4.3倍、脊髄損傷患者では3.8倍に、自殺の危険が高まる。これはとりわけコンサルテーション・リエゾン精神医療において、重要なデータである。「身体疾患の患者であっても、当然のことながら、自殺の危険を正しく評価するためには、心理・社会・生物学的な側面から理解していかなければならない。」私は慢性難治性肺疾患の患者のリエゾン診察を行い、お互いに笑顔で別れた翌日に、自殺既遂をされたことがあった。産科では「女性を見たら妊娠と思え」と教えられるのと同様に、「リエゾン患者を見たら自殺と思え」と言わざるを得ない。

 第7章は「予防と治療」である。「自殺の危険の高い患者の治療にあたっては、①単に精神症状の緩和だけでなく、これまでに獲得してこなかったスキルを身につけるように働きかけたり、次の危機的状況への対応法を具体的に考えていったりする心理療法、②背景に存在する精神障害に対する適切な薬物療法、③周囲の人々との絆の回復、を重要な3本の柱として計画を立てなければならない。」この章では、自殺の危険を減少させる心理療法として最近注目されている弁証法的行動療法(dialectical behavior therapy : DBT)が紹介されている。それはさまざまなプログラムで構成されているが、グループでのスキル訓練では、中核的マインドフルネス・スキル、感情統御スキル、対人関係効率化スキル、苦悩耐性スキル、「中道を歩む」スキルの訓練が行われる。それらの名称から察するだけでも、社会適応や対処行動に重要なスキルばかりのようである。

 第8章は「不幸にして自殺が生じた時の対応」である。それは予防(プリベンション)、介入(インターベンション)に続き、ポストベンションと呼ばれているが、日本ではまだ医療機関での取り組みが弱いようである。ポストベンションは①遺族への対応、②他の患者への対応、③医療・看護スタッフの検討会、④担当医・担当看護師への対応から成るが、その一部だけでも実施されれば、関係者の悲哀や後悔の念は軽減され、自殺予防策の改良にも役立つであろう。私は担当の外来患者に自殺された際に、遺族から面会を求められたことがあり、診療録をすべて開示して、私の診療経過を詳しく説明し、遺族の辛さをじっくりと傾聴することにより、遺族の表情が和らいだ経験がある。日本での自殺者が急にゼロにあることはあり得ない以上、ポストベンションはもっと重視されて良いと思われる。

 第14章は「自殺予防に関する国内外の動き」である。この章では、世界的に注目されているフィンランドでの自殺予防対策が紹介されている。「フィンランドの自殺率は1990年には人口10万人当たり30を超えていたのだが、地道な自殺予防対策を実施することによって、10年以上かけて自殺率を約3割低下させた。自殺予防は短期間で効果が上がるものではなく、各機関の緊密な連携を進めながら、長期的視点に立った対策が必要であることがフィンランドの経験から明らかになった。」このプロジェクトには同国の国立公衆衛生院、国立福祉健康研究センター、フィンランド・メンタルヘルス協会、危機介入チーム、学校における自殺予防活動などが参加した。一方で、日本では2006年に自殺対策基本法が成立し、国立機関や政府、地域による取り組みが始まったが、それらに関する著者の見解はやや辛口のようである。日本もフィンランドの経験からもっと学ぶべきではないか。
 さて、本書は分厚い学術書であり、一見「難攻不落」に見えるかもしれない。しかし、著者の高橋祥友先生は英語を母国語のように話し、プロはだしの映画評論をしたため、落語を愛する、多趣味で人間的な精神科医でいらっしゃる。そうした高橋先生の素顔を知っていただければ、本書への敷居が低くなると思い、同先生には失礼かもしれないが、あえて付言させていただく次第である。

※おおしま・あきひこ 精神科医

 

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【書評】精神科医が読み解く名作の中の病

2020年4月27日11:18 AM

「精神科医が読み解く名作の中の病」
評者:大嶋明彦
著者:岩波明
出版社:新潮社
発行日:2013年2月20日
(現在はAmazon Kindleで電子書籍として購入できます)

 

 カール・ヤスパースは「精神病理学総論」の中で以下の通り述べている。「研究者一人一人にとって、何を了解できるか、如何に了解できるかということは、彼の人間的水準の問題である。了解の創造的な業績は神話において、又神話の理解において、偉大な作家や芸術家によって行われている。シェークスピア、ゲーテ、古代の悲劇作家、或は近代作家例えばドストイェフスキイ、バルザック等を、倦まずに生涯をかけて研究して、はじめて内的直観が得られ、了解的想像が練磨され、種々の形姿が得られて、具体的に現在行う了解が行われ得るようになるのである。」

 そうであれば、63編の文学作品を精神医学的に読み解いた本書の著者の了解能力は、並々ならないはずである。本書では各作品の登場人物に精神医学的診断が下されているが、その鋭さと的確さに、私は舌を巻く思いの連続であった。著者が臨床精神科医としても卓越した診断能力を持っていることも、間違いないと思われる。
まず本書は現代文学入門として読むことができる。本書で取り上げられている作家は多岐に渡り、例えば国内では村上春樹、北杜夫、東野圭吾、藤沢周、中上健次など、また国外ではサリンジャー、コナン・ドイル、カート・ヴォネガット・ジュニア、バルザック、スティーヴン・キングなどの作品が紹介されている。著者はこれらの作家の作品の登場人物とストーリーを実に簡潔で魅力的に描き出しているため、ぜひ原作を読みたい気持ちがそそられてしまう。

 また本書は精神医学症例集として読むこともできる。精神疾患の診断名が付いている作品をランダムに挙げると、例えば次の通りである。「自閉症とは何か リアノー・フライシャー『レインマン』」、「不安神経症 谷崎潤一郎『悪魔』」、「非定型精神病 高村薫『マークスの山』」、「薬物乱用 村上龍『限りなく透明に近いブルー』」、「パニック障害 南木佳士『阿弥陀堂だより』」「若年性アルツハイマー病 萩原浩『明日の記憶』」「躁状態 中島らも『水に似た感情』」。当然ながら、精神医学の専門書より楽しくまた興味深く読める。

 さらに著者は多くの作家自身にも精神科診断を下している。著者によれば、芥川龍之介、太宰治、中村真一郎、夏目漱石、ヘミングウェイはうつ病患者であった。文学作品には統合失調症的な雰囲気を持つものも少なくないが、仮に作家自身が統合失調症に罹患したら、思考障害のため首尾一貫したストーリーを創作することが困難になるかもしれない。ほとんど支離滅裂な文体で知られるアイルランド作家のジェームス・ジョイスを、スイスの精神医学者ユングは統合失調症と診断したが、彼は例外的な作家であろう。

 そのうえ本書には、著者の精神医学者としての文明批評や現状批判もちりばめられている。「二度の世界大戦とベトナム戦争の経験から、戦争が人間の精神を破壊することが明らかになった。最近の湾岸戦争やイラク戦争でも、同様の事態が起きている。戦争神経症においては、情動の不安定さ、刺激に対する過敏さに加え、無感動、疎外感、他人への激怒などが特徴的であり、自殺者も後を絶たない。」「介護保険制度が定着するまで、日本においては専門的な老人の介護施設はごくわずかしかなかった。認知症の老人たちは適切な医療を受けることも、人としての尊厳を尊重されることもなく、精神病院の片隅で亡くなっていったのである。現在では老人保健施設やグループホームなど、認知症のための施設は多様になってきているが、ますます増加している認知症患者に対してどのように対応すべきか、医療や福祉の視点だけではなく、倫理的にも、経済的な側面からも、幅広い議論が必要であろう。」

 私は著者の一般読者向け著作の第一作である「狂気という隣人―精神科医の現場報告」(新潮社)を書評する光栄に浴してから、以降の著者の著作をすべて読んでいる。それらには一貫して、精神医学者としての正確な知識と、臨床医としての温かい共感性と、個人としての強い正義感が込められている。私は著者の新著の出版をいつも偶然に書店で知るのだが、そのつど嬉しい驚きを味わっている。

※おおしま・あきひこ 精神科医

 

【書籍】精神科医が読み解く名作の中の病

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